世の中の暗いところ。
世界中どこにでもあるもの。明るい場所、暗い場所。
犯罪が多発している街や路上で誰かが何かのパフォーマンスをし続けている都市、人混みを掻き分けながら通勤する人々が毎日溢れている場所や、田んぼや畑の周りを静かな音を立てながら果てまで流れていく小川のある場所。言葉にするだけでその情景が目に浮かぶ、見慣れたものだからかなぁ。
場所は目に見えていて、雰囲気を感じられ、細部へは関心を寄せないものです。
どれほど明るい場所であっても目に見えない暗いところがある。
明るい場所でも暗いところでの傷は忘れることなく毎日ズキズキと心へ響いいたり、
暗い場所でも明るいところを見つけ辿り着いた癒しは心の風通しを良くさせます。
明るいところへ出れたのに暗いところへ戻っていった人がいた。
自らの意思で戻ってしまったのか。
嫌でも戻らなければならなかったのか。
戻らされたのか。
明るいところでの救いは1つもなかったのであろうか。
元の暗いところでの救いは1つも与えられなかったのであろうか。
救いを問うことで救われるものならば、こんな議論必要ないのだなぁ。
明るいところに長くいると暗いところがやってくる、そう感じていた人そう信じていた人は一体世界にどれほどいるのだろうか。
少なくともここに、1人、そう信じてしまっていた人がいる。暗いところにいて救いを求めることを知らずただ耐えていた。明るいところをひたすらに待ち続けていた。救いを差し伸べてくれるはずの者は怯える恐怖を与えていた。
しまいに鳩の鳴き声が叫び声に聞こえてしまうのは不思議だなぁ。
そんな不思議な耳、欲しく思う人はいるのだろうか。
なにより鳩に失礼じゃないか。叫んでないってほら、ホロッホー。
毎日ぽつんと曇り空の元にいる人。
耐えている人、怯えている人、泣いている人、言葉が出ない人、怒られる人、笑えない人。涙が出てきてしまう人。
暗いところは苦しいなぁ。
暗いところは寂しいなぁ。
ここんとこ毎日曇っているなぁ。
たまに、晴れているときもあるのだなぁ。
よし頑張ろうと思っても、暗いところがすぐ近くにあるような気がして落ち着かないなぁ。
明るいところへは慣れてしまうから、暗いところを忘れると明るさが強くなってきて前が見えなくなるのだなぁ。
忘れていいものだってあるのになぁ。
笑っていたいなぁ。
他人の笑顔が眩しいとき、何を見て何を思って笑えばいいのか分からなくなるのです。
笑えたときに笑えたと気付かないくらいになったらいいなぁ。
笑いたくないときに笑って涙を流すより、
笑いたいときに笑って泣きたいときに泣くとすごくいい。
わたしは悲しいんだよーわたしは苦しいんだよー。
わたしは何も分からなくて辛いんだよー。
それを叫んでもいいみたい。
それを叫んだらいいみたい。
それしか言わなくてもいいみたい。
ずっとそのまま、いえそんなこときっとない。
必要なものはなにもない。いつだって尊いものはその心です。
暗いところに心を奪われないでください。
愛する人にだけ奪われてしまえばいいのだなぁ。
明るいところは暗いところを消し去るパワーがあるから、それを受け取れるということを忘れないで下さい。
またいつの日か、
笑っていることに気がつかないくらい笑ってるあなたがいるはずですから。
すごく暗いことを書いていると書きながら感じていました。
暗かったのです。離れた場所にくらいところがあったのです。
私は今明るいところにいるのに、私の知らなかった真っ暗なところがありました。
そうしたギャップが受け止めきれなくなるときがあります。
どうしようもない気持ちになるときがあります。
正直に申し上げますと、すごく怖いです。
そしてそれを書くときも怖いです。
私の暗いところを書いてみたけどやっぱり暗い部分はどう書いても暗い。
明るく書こうとすると言葉が雑になり書けない。
同情を買いたい訳でもなく私はあなたを救いますと言いたい訳でもない。
ただ怖かったので書きました。
同時に真っ暗なところにいる人へも書きました。
読む人へ何が伝わるのかどう伝わるのかさっぱり分かりませんが、
たった1人でも何かを受け取っていただければと思います。
ちなみに私はその昔、真っ暗の中にいたのでどれだけ暗いものも否定しません。
まっっっっっっっくらのところでもあっっっっっかるいところでもなんでもいいです。
なにかよく分かりませんがなんでもいいです。
なんでもナンでも名探偵コナンでもなんでもいいです。
なんでもオーライです。
けれど、ナンはキーマが合いますね。
なんの話だよ!?
「ナン」の話だよ!
...
最後くらい少しくだらなく終えたい...私は偉ぶる文章書いている単なるバカですから最終的に、くだらない奴の文だったなと鼻で笑っていただければ幸いです。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。