はじまりからおわりまで

人生はきっと愛だらけ

私とイチゴとコマネチと

 

あの子に彼女いた。

え、そうなの?うそだろぉそんなぁ...もっと早くに教えてよー。レズビアンだからといって全ての女性に恋をするわけじゃない。レズビアンだって苦い経験があるものだ。苦い経験、いや絶望だ。今は絶望を通り越して私という人間が消滅しそうなくらいだ。

 

あなたの彼女は、あなたの笑顔を眠る前まで見ていられるのですから、毎夜夢の中で生きているかのような心地でしょう。そして朝起きてコンビニへ行き、いつもの肉まんとあんまんをあなたと半分こできるのでしょう?あの君に届けみたいな甘酸っぱい青春のひと時から愛の渦に巻き込まれるようなひと時まで...。私はさぁ、嫉妬の渦に巻き込まれているんだよぉ。あぁこのどうしようもない気持ちを抱えたまま私は一人でふかふかのお布団へ潜り込み隅っこで顔を埋めながら眠りにつくのか。くだらないなぁ誠にくだらない!ええいくそっ、もう寝てやる。

 

目を開けるともう朝だ。朝かよーもう朝かよ。来る日も来る日も朝がある。清々しい朝はここのところ訪れていない。清々しい朝とはなんぞや、分からん!今日もあの子の目に映ることのない私、を過ごすのだなぁ。あぁなんと楽しくない1日ですこと、いやですなぁ。

 

お湯を沸かしパンを焼く。ふと、昨日買った特売のイチゴのことを思い出しパックの中から数粒取り出して洗いお皿に盛った。特売のイチゴは小粒で可愛らしい。小粒ちゃん。お前はなぜそんなに愛らしいのか。まるであの子のようだ。いかんこれはイチゴだ。あぁイチゴ、イチゴはなぜイチゴなのか。イチゴはイチゴに生まれて幸せなのか。イチゴはイチゴとして人間に食べられるが、食べる側の人間を選ぶことなど出来ぬではないか。口のくっさい汚ったない人間に食べられるのかもしれないのだぞう。

 

私だったら嫌だ。どうせ食べられるなら、ここのところ少し疲れ気味だから今日は栄養のあるものを買って帰ろうとぼやき、いつものスーパーで値引きシールを貼られたイチゴ残り三つのうちひとパックを手に取りこれでとりあえずビタミンを摂取しようと試みる黒髪の女性。薄茶色の目をした綺麗な瞳に見つめられほど、よく厚みのある艶やかな唇に吸い込まれまれるように食べられたい。あぁと吐息を漏らされれば私はその女性の胃の中で穏やかな最期を迎えることができるだろう。そんなことを選べぬお前を不幸に思う。私はイチゴになりたくないなぁ。人間も辛いけどなぁ。そんなこんなを考えながら一粒、また一粒と、小粒のイチゴを食べた。美味しいなぁお前。不幸な私に食べられるお前、不幸だなぁ。

 

イチゴとあの子で頭がいっぱいになりながら犬の餌やり歯磨き皿洗いを終え眉毛を整え支度を始めた。今日は祖母のお姉様と会う日だが、気分が沈む。お姉様に会うのは祖母の法事以来であれから半年以上も経つ。

 

元気にしてらっしゃるのかなぁとぼんやり考えるがあの子が頭を過ぎる。すごくネチネチしているなぁ私。ネチネチし過ぎてネチネチを「コマネチ」とよびたいくらいだ。

 

『私すごく「コマネチ」しててさぁホント嫌なんだよねぇ。もうホント「コマネチ」だわぁ』

ほらコマネチというだけで気分が違うだろう?そんなくだらないことを考えおにぎりを頬張っているとすぐに着いてしまった。高速道路の快適さが身にしみる。

 

お姉様の住む高齢者向けのマンションに着くとお姉様が裏の入口から出てきた。背骨が曲がり以前より小さくなっていたお姉様は挨拶を交わすとそばにある桜に目を向け

「もう咲いたんやなぁこれ桜やなぁ」

と瞳を輝かせていた。

「そうだねぇ早いねぇ」

桜に関心がなかったが私の住んでいるところよりも都会であるここは桜が4分咲きくらいでいつもより春を感じた。

「東京ではもう満開なんやてなぁ、ついこの前まで雪降ってたのに」

「そうだねぇ早いねぇ」

会話を交わしながら部屋へ行く。花や手芸が好きなお姉様の家にはいくつもの作品が壁に飾られている。花の絵であったり刺繍であったり、部屋の隅や玄関には造花が飾られ美しく整っている。こういうものにはやはり性格やセンスが出るらしい。お姉様の雰囲気と調和がとれたこの部屋はとても居心地の良い空間。お茶を頂きたわいもない話で盛り上がる。お姉様のお話は聞く者に笑顔の花を咲かせる。途中でふと好きなあの子を思い出したがお姉様のお話がそれを消していく。

 

そんなお姉様の家の近くには有名な神社があり、その脇には小さなお店がいくつも並ぶ参道がある。参道には美味しいお煎餅屋とカステラ屋があり、お姉様の家に訪ねた際には必ずお土産に買って帰るのだ。

 

「今日もお煎餅買いに行くんやろ?」

そう言われ1人参道へ向かう。今回は普段通らない脇道を使う。なぜなら祖母が亡くなってから一年経たないので神社の鳥居を避けて通らねばならないからだ。しかし参道の手前に着くと巨大な鳥居が出迎えてくれた。ここを通らなければ参道へは行けない。そこで法事の際お坊さんが言っていたぼやきを思い出した。「神社に行けないじゃないですかぁ」と誰かが言うとそのお坊さんはこんなことをぼやいた。

 

「迷信ですけどねぇ」

あぁそうか、迷信だわ。迷わず鳥居をくぐった。脇道を抜け参道へ行く。ほどよく賑わい老若男女が楽しそうにお買い物をしている。私の目当てはお煎餅屋とカステラ屋なので他店には目もくれず一直線に向かう。いつもより歩幅が大きい。ほどよく賑わう中を颯爽と、駆け抜ける感覚で歩く。爽快だ。参道入口にある煎餅屋はあとで訪れることにした。最初に向かうカステラ屋までは少し距離があり上り坂を登っていった左側にある。

 

ぼーっとしている店員であろうおじさんに声をかける。いつも必ず1つカステラを頂く。相変わらず美味しい。「何個入りします?」とおじさん。「十八個入りひとつと三十六個入りひとつください」ひとつは私の姉へのお土産だ。袋に入れている間に焼いていたカステラが出来上がった。「ちょっと待ってね」とおじさん。焼けたカステラを楊枝のような物で飛ばしていく。透明のガラスに飛ばされたカステラが当たる。すると見事に収まるべき場所へ収まっていく。おぉと私が歓声を上げるとおじさんは、

 

「最初はあっちこっち飛び散ってねぇ、場外ホームランばっかりだったよ」

予想していないジョークに大きく口を開けて笑った。そしておじさんもすごく嬉しそうに笑っていた。和むなぁ。ありがとうを伝え参道入口の煎餅屋を目指す。煎餅屋まで下り坂が続くので更に歩幅が大きくなり爽快に歩くことができた。着いた煎餅屋では80歳を過ぎたおじいさんと少し怖そうなおばあさんが表で煎餅を焼いている。

 

その少し怖そうなおばあさんに声をかけ五百円の袋を三つくださいと伝える。二つはお姉様と私の姉へのお土産だ。「はい千五百円ねぇ」財布を見ると先程のカステラ屋で千円札を使いきってしまったため一万円札しかなかった。おばあさんが小銭を出さずに済むようにと一万五百円を渡した。一万円を渡したあとに五百円を渡すとおばあさんがこちらを驚く顔で見た。

 

「五百円なんて、あんたまぁこんな小銭出す人おらんよぉ、皆一万円だけやでぇ?こんなん出す人、百人に一人くらいやでぇ」

笑いながら思いっきりツッコまれた。まさかのツッコミがおかしくまた大きく口を開けて笑ってしまった。もう何もかもが面白くなっていってしまう気がしてならなかった。足早にお姉様の家を目指す。帰り道中桜が咲いていたので写真を撮った。撮り終えると数人の子供の声が聞こえた。

 

「わああああしゃくらがしゃいているぅ〜」「うわあああすごおおおおい桜だあああ」

桜でものすごくはしゃいでいる。子供が桜を見てはしゃぐなんてことがあるのだなぁ。桜より子供達が素敵に見えた。家へ着きお土産のお煎餅をお姉様に渡す。それからおやつのブッセのようなものを頂きながら会話が弾む。

 

「私なぁ好きな食べ物とかあんまりないねん。孫らが好きなもん買って行くわぁとか言うてくれるねんけどなぁ、好きなもんいうても私そんなあらへんねんなぁ。かというて嫌いなもんもないしなぁ」

そう言いながらブッセのようなものをペロリとたいらげた。和やかなひと時を終え、また会う約束をしさよならをした。帰り道中、私の姉へお土産を届けるついでに泊まらせてくれというLINEを送った。いいよとのことで自宅へ帰り荷造りをして姉の家へ向かった。姉の家は新築でとても綺麗。どこかしらお姉様の家の居心地の良さと似ている。着くとすぐお土産を頬張りながらのおしゃべりが始まり、全ての話題が爆笑で終わっていった。

 

そして風呂に入るのだが、風呂釜が大き過ぎて入り方に困る。どこに身を置いていいのか分からないのだ。風呂釜の中でぐるぐる回るという刺激的な入浴を終え再びおしゃべりが始まる。新品のソファーでくつろぎながら、あの子のことは話さず、互いのお気に入りの歌手の話や友達の話。そしてここ最近文章を書いているが少しびびってうまく書けないということも話した。それを聞いた姉は

 

「イエーイで喜べばいいやん!やったーってなってポジティブにイエーイでいいやん、それだけ集中できるっていうのもすごいよ」

と、あっけらかんとした表情で答えた。

「そうなのかぁ、ポジティブにイエーイなのかぁ」

忘れかけていた楽しむということを教えてくれた。姉のこうした言葉に度々救われている。感謝だ。

 

一通り話を終えたところで布団へ入る前、ふと今朝のイチゴのことを思い出した。

 

イチゴはイチゴとして生まれ、イチゴとして育ちイチゴとして生涯を終える。立派にイチゴの役目を果たす。それが例え口のくっさい汚ったない人間に食べられたとしてもまた野生の鹿や猪などの獣に食べられたとしてもイチゴは誰かの腹を満たす。人間でも獣でもその子供なんかが食べたら笑顔が満開だ。イチゴは人を生き物を幸せにする。

 

そしてイチゴ自身もイチゴであることを楽しんでいるのかもしれない。イチゴとしての幸せを手に入れているのかもしれない。あの子の彼女はあの子を幸せにしている。そこに例え見返りがあったとしてもあの子が彼女を選ぶ限り互いに互いを幸せにする。幸せを与え合う。

 

もうここにイチゴを不幸に思う私も、私を不幸に思う私もいなかった。あの子の彼女を羨み恨む私もいなかった。ただ確かにあったのは、自分の足でどこまでも歩きまたそれを楽しみ私は私の役目を果たすという意思を自分だ。誰かに飯を作って与えてもいつか出会う可愛い女の子のために毎日体を綺麗に洗い清潔さを保つことも咲き誇る桜に目を向け綺麗だねぇとつぶやくことも、ポジティブにイエーイとなることも私の役目であり私の人生だ。与え続けていくことで楽しみ続けていくことで誰かの腹を満たすことができるかもしれないだろう?そのためにはひたすら歩き私という人間を育ませてやるのだ。

 

イチゴよ、お前よりは長くかかりそうだが成熟し熟れた私を欲す女が現れるまで一生懸命生きるぞ。そして私はその女への役目を果たすだろう。愛を与え腹一杯にしてやるということを。

 

いいことを学んだぞ。さぁ今日は姉の家で姪がいるふかふかの布団へ潜り込み隅っこで顔を埋めながら眠りにつこうじゃないか。清々しい朝が久しぶりに訪れるだろうからなぁ。いやちょっと待ってくれ、姪の足が顔の前にきてしまったじゃないか。蹴られそうで動けない。あぁもうなんてこった。あの子は今頃愛する彼女と同じベッドで寄り添い夢の中へ...。

 

私は今も「コマネチ」している。ほんとコマネチしてるわぁ。